【海外生活あれこれ】日本育ちには馴染みにくいポーランドの議論文化

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早いもので、ポーランドに転居してから2年が経とうとしています。

相変わらずポーランド語もまともに出来ず、初めてのヨーロッパ圏での生活で文化の違いにもがく日々であることには変わりがありません…。未だに毎週のように悔し泣きしたり、頭に来てジタバタしている訳ですが(苦笑)、これまで感じた日々の生活でぶち当たった壁について少しづつ紹介していこうと思います。

多分ポーランドだけに限らず、広くヨーロッパ圏全体でもいえることが多いのかな、と個人的には考えていますが。

初回の今回は、私がずっと「きつい」「しんどい」「助けてください」と思っている(笑)ポーランドの議論文化についてご紹介します。

そもそも議論とは

ポーランド人の多くが本当におしゃべり好き。友達が数人集まれば、お酒を片手に何時間も話し込むことは日常茶飯事。ほぼ毎日のようにあっている友人でも、よく話題が尽きないなと感心するほどいつまでも話し込んでいます。話題は自分たちの近況報告から、旅行の話、時事ニュースや政治の話題まで様々。

この時よく目にするのが、双方の意見が合致せずに議論に発展する展開。日本だったら「楽しいお酒の席で議論(日本的には言い合い?)をするのは場の雰囲気を壊すから避けよう」と、とりあえずその場を取り繕う事が多いのではないでしょうか。

ここポーランドでは、議論に発展しても誰も止めようとしません。むしろ、お互いが自分の意見を言いきってスッキリするまでその議論はいつまでも続きます…正直、議論慣れしていない私から見ると「それって喧嘩ですか?」と思うほど、意見交換が白熱してかなり尖った雰囲気になることもあるのですが、当人たちは気にせず。むしろ、お互いの意見を出し尽くして、考えをブラッシュアップしてく議論の過程が楽しくてしょうがないのだとか。

最終的に意見が合意しなくても、議論が終わった後は何もなかったかのようにまた笑いながらお酒を飲み始めています。時にはかなり批判的な意見交換をしていたにもかかわらず、どちらもとてもスッキリとした様子でいるのです。これは日本人には到底馴染みにくいのではないかと常々考えています。

そもそも「議論」とはどのようなことを指すのか、私たち日本人の生活に根付いていないためか、ちゃんとした定義を考えたことがないのではないでしょうか。以下のブログにヨーロッパにおける議論(ディベート)についてわかりやすく紹介された記事がありましたので、是非一度目を通してみてください。

コスモポリタン・エンジニアライフ – 欧米のディベート文化に見る日本との倫理観の違い。

議論とは何かを分かりやすく簡潔にまとめられた文章が紹介されていましたので、以下に引用します。

対話と同様、明確な論点があらかじめ提示されるが、対話との違いは、その目的として「共有」だけでなく、「決定」が不可欠な点。
よって自分の考えに正当性があると思えば、相手の考えを「批判」することも許されるが、そこでのポイントは、「相手を論破することが目的ではない」こと。

「でもさ、××の方が□□という点で良いと思うんだよね」といったお互いの主張をぶつけ合うが、誰かから、「あ、そうすると△△ってのはどう?」のような新たな考え、つまり触発を通した「三人寄れば文殊の知恵」が生まれるのが理想的
よって必要以上に感情的にならずに、論理的に考え、話すことと、「批判はしても否定はしない」、つまり「どちらも間違ってはいない」と認めることが求められる。

ファカルティズ・コラム-ビジネス・スキルを高めるヒント集-「話し合い」を4つに分けて定義する より

まさに、我が家のポーランド人が常日頃口にしている「議論とは何か」が、ドンピシャでこれに当てはまります!何度も何度もレクチャーされて耳にタコができるほど聞かされていますので(苦笑)。

議論は意見交換であり個人の人格否定ではない

このような議論は友人間だけに限らず、家族間でもよく起こります。というか、私とパートナーとの間でもしょっちゅう…。私自身は「論理的に議論する」訓練をどの教育課程でも、社会でも、家庭でも経験したことがなく、私の考えや意見を否定されると自分自身の人格そのものが否定されたように受け止めてしまい、本当につらい思いをしています。

しかし、これについてはこれから私が自分改革をして、議論というのものがどういうことなのかを体当たりで学んで馴染んでいくしか解決方法はないと思っています。そもそも相手は人格否定をしているわけではない、という意識前提で意見をぶつけてきているので…。

また、こちらには「クッション言葉を使って柔らかく相手に伝えよう」という文化はほぼ皆無であり、ましてや家族に対してはかなり直接的に遠慮のない言葉の表現をしてきます。(いや、勿論人によりますね。たまたま我が家のポーランド人がそういう人、というだけな気もしますが)

もしかしたら、お互いが母国語でない英語を使ってコミュニケーションしているがために、適切な表現ができていないからよけいキツク感じているのかもしれません。ネイティブのような気の利いた英語表現自体、そもそも持ち合わせていないので、特に私の場合は何かを直接的に伝えようとすると、どうしてもキツイ、丁寧でない英語表現しか出てこないので、余計相手をイラつかせてしまっている可能性も無きにしも非ず…

意見に対する批判を受けて私が感情的な反応をするたびに言われる言葉が

「議論は意見交換にすぎず、相手個人の人格を否定するものではない」という言葉。

先に紹介した議論の定義の中でも言われていますね。

これ、頭でわかっていても感情で理解するのは相当大変です…海外サバイバーの諸先輩方は、この議論文化の荒波をどのように乗り越えられたのか、もしくは乗り越える必要すらなく適応されたのか、等々非常に気になります。私自身はまだまだ時間がかかりそうです…(涙)

中途半端に長い日本での社会人経験がアダに

日本で受けた教育、及び社会での常識、考え方が180℃異なることも多い海外生活。よく「日本の常識は世界の非常識」という言葉を耳にしますが、まさにそれを肌で感じながらもがいている毎日なのです…。

無駄に(?)日本社会で社会人経験をある程度の期間してしまったため、余計自分が持っている「社会常識」の考え方を変換するのに手こずっているとも思います。20代で移住していたら、もっと柔軟で苦しまずに適応できていたのではないか、と悔やまれてなりません。柔軟性の塊だった20代に戻りたい…!

ただ、逆に、こちらのこの「議論文化」に適応し、馴染み切った後では、日本社会に戻った時に「生意気」「尖ってる」「自己主張が強すぎ」「協調性がない」と、ネガティブな太鼓判を押されることは確実。

今から家族には「あと数年後には私は外国人になっていると思ってください」と念を押しています(笑)。
こちらのやり方に適応できなかったらストレスで耐え切れなくなると思うので、これもまたポーランドで生き残るための試練だと思って、日々頑張っているところです。

あと何年後に「議論楽しいわー!」と言えるようになるのか。近い将来であってほしいと願うばかりです…。

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